トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

ムスリと元寇 トンイ第27話解説(あらすじ含む)

   

[ad#300-250]ハン・ヒョジュ、チ・ジニ主演、イ・ソヨン、ペ・スビン、パク・ハソン出演の韓国時代劇トンイ(同伊:동이)の第27話の解説(あらすじ含む・ネタバレあり)です。

何とか都城に戻り宮中に戻るためムスリとなったトンイ。外史では淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)はムスリ出身ということになっており、ドラマではこのような形でこの説をストーリーに加えています。

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このことについての考察は過去に旧トンイ考で記事にしていますので、そちらをご覧ください。 → トンイはほんとにムスリだったのか?

さて、今回はムスリ(무수리)について説明していきます。

ムスリは『高麗(コリョ:고려)や朝鮮(チョソン:조선)時代の宮中で、掃除などの雑用を引き受けた婢(女性の賤民)のことで、水賜(スサ:수사)とも呼ばれている』というのが定義です。また、『水賜伊(スサイ:수사이)・ムスリは元来モンゴル語で「少女」という意味である』とあります。

このことからもわかるように、ムスリとは朝鮮の固有語ではなくモンゴルからの外来語です。このことを紐解くには朝鮮の前の王朝・高麗を見なければなりません。

一つ先にいっておくと、その時代は朝鮮半島の歴史の中でも黒歴史です。東アジア周辺史においてはとても重要な歴史なのですが、韓国のネット上でも見事なまでにその辺りの説明が欠落しています。中国でも当時起こした元寇について歴史の教科書から削除しています。両国には客観性を持った歴史的記述をして欲しいところです。

さて、どうして宮中用語としてモンゴル語が定着していたかというと、高麗が100年近く中国の元王朝に侵略されていたからです。そして、朝鮮は高麗の慣習を少なからず踏襲しているために、後年になっても言葉が使用されました。

約30年間、元からの侵攻を受けていた高麗が元に服従を誓ったのが1259年のことです。当時世子(セジャ:세자)だった後の第24代元宗(ウォンジョン:원종)が元の第5代皇帝クビライに謁見し、高麗は元の諸侯国、いわゆる属国となりました。

元は高麗を敢えて自国とはせずに、王族の姫を高麗王家に嫁がせて属国としてコントロールしました。この呪縛から解き放たれるには100年の歳月を待たなければなりませんでした。1356年、第31代恭愍王(コンミンワン:공민왕)は元に反旗を翻し、ようやく国体を取り戻します。

この約100年間、第25代から第30代までの王の諡号には『忠』の文字が付いています。これは、元に忠実な諸侯国の王という意味で屈辱的な扱いです。

国体を取り戻したのもつかの間、1368年には高麗の武将だった李成桂(イ・ソンゲ:이성계)により朝鮮が建国されます。こうして見ると、高麗と朝鮮の歴史が密接に関わっていることがわかりますね。

このような歴史の中で、高麗王家に嫁いできた元の公主(姫)とその付き人達によって、少なからず宮廷の風習や言葉が朝鮮半島にもたらされ定着していったわけです。

ちなみに、小学校でも習った元寇(蒙古襲来)は、1274年の文永の役と1281年の弘安の役の事を言いますが、まさにこの時の元の皇帝はクビライで、元に支配されていた高麗がその最前線を担っていました。このときに、もし元による日本侵略が成功していたら、日本にもムスリがいたかもしれませんね(汗)

 

第28話に続く

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