トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

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南人(ナミン)が政権与党だった期間は意外と短い トンイ第37話解説(あらすじ含む)

   

[ad#300-250]ハン・ヒョジュ、チ・ジニ主演、イ・ソヨン、ペ・スビン、パク・ハソン出演の韓国時代劇トンイ(同伊:동이)の第37話の解説(あらすじ含む・ネタバレあり)です。

ついに張玉貞(チャン・ オクチョン:장옥정)中殿(チュンジョン:중전)の座から降格しました。実はドラマ・トンイの描写は歴史的事実の前後関係があべこべになっています。

そのあたりについては過去記事にすでに記述しています。

甲戌換局(カプスルファングク)の真実

同伊(トンイ:동이)

 

さて、今回の甲戌換局(カプスルファングク:갑술환국)で政権与党の座から引きずり落とされた南人(ナミン:남인)ですが、今後の歴史で本格的な政権与党に返り咲くことはありません。

それでも、個々には活躍する人がいました。ドラマ イ・サンでサンの右腕としていつも寄り添い助言を与えていた蔡済恭(チェ・ジェゴン:채제공:1720-1799)は南人出身ながら最高峰の領議政(ヨンイジョン:영의정)にまで上り詰めました。

けれど、この時代には、派閥融和政策である蕩平策(タンピョンチェク:탕평책)が採用されていたためで、南人(ナミン)が政権与党だったわけではありません。

ドラマ・トンイを見ていると、強者・南人(ナミン)V.S.弱者・西人(ソイン:서인)というイメージを持つかもしれませんが、粛宗(スクチョン:숙종)の祖父で第17代孝宗(ヒョジョン:효종)のころから、ずっと西人政権が続いていました。

ドラマ馬医(マイ:마의)に登場する、粛宗の父で第18代顕宗(ヒョンジョン:현종)の最晩年、1674年に初めて南人は政権与党になるも、1680年の庚申大黜陟(キョンシン テチュルチョク:경신대출척)の際に粛宗により再び西人政権へと戻されます。

そして、1689年の己巳換局(キサファングク:기사환국)により、再度南人が政権与党となります。これ以降のエピソードをフィクションも交えてドラマ・トンイでは描写していました。

そして、第37話の1694年4月で、南人は一部の例外を除き政治の中心から離れてしまいます。

こうして見ると、南人(ナミン)は、最初の6年と2度目の5年の正味11年しか政権与党に付いてないことがよくわかると思います。

ドラマ・トンイでは60話中の過半数以上を南人政権が担っていたため強者のように見えたかもしれませんが、実は弱者政権だったのです。

 

【参考】 韓国歴史年表トンイ編  ・・・ 粛宗代の史実年表。性格的にあらすじのネタバレも含まれます。

 

第38話に続く

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