トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

トンイの祖先は?

      2013/11/17

[ad#300-250]ドラマ・トンイでは、トンイこと淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)には母がすでにおらず、父は剣契(コムゲ)の首領でしたね。

では、実際の家族構成や先祖はどうだったのでしょうか?

まず家族ですが、父・母・姉・兄がいました。父はトンイが3歳の時に、母は5歳の時に亡くなっています。姉については定かではありませんが、兄が結婚していたとの記録が残っています。

これらは、崔孝元(チェ・ヒョウォン)の墓標に刻まれていることですが、当の父は剣契(コムゲ)として、反体制活動家として手腕を振るっていたのでしょうか?

もちろん、フィクションです。さすがにこのような父を持つと後宮には入れませんね!

特筆すべきは祖父に当たるチェ・テイル(최태일)。彼についての記載には学生(ハクセン:학생)とあります。現代語の感覚ではなく同時代性を持った解釈をすると、学生とは科挙の準備をしている儒者とと見るべきでしょう。

すると、崔氏は両班(ヤンバン)だったのか?という疑問が沸き上がってきますが、答えは否です。そもそも科挙は両班しか受けることができないと思っていることが誤りで、平民なら誰でも受けられるのです。

そもそも、朝鮮の法大典經國大典(キョングクテジョン:경국대전)では、良賤制(ヤンチョンジェ:양천제)として、良人(ヤンイン:양인)賎人(チョニン:천인)の2つの身分しか規定されていないのです。

両班(ヤンバン)とは現代日本でいうライオンズクラブのようなもので、いくら勉強ができたり、お金持ちだったりしても、加入できなければただの良人(ヤンイン:양인)だったのです。(※あくまで比喩です)

既得権益と優越的地位がある程度保証されている団体なので、むやみに入ることはできません。実際に第11代中宗(チュンジョン:중종)の代に科挙に合格したソン・スン(송순)などがそうで、大司憲(テサホン:대사헌)などを歴任し正2品にまで登ったのにもかかわらず、彼は両班ではありませんでした。

その後、地元の長老を手厚くもてなし、無事両班となったのですが、このことからもわかるように、両班とは各地方の既得権益団体といってもいいもので、特に規定があるというわけでもなく、家系や土着性などでなんとなく決められた身分階級なのです。

話をもとに戻してトンイの家系ですが、祖父チェ・テイル(최태일)が学生だったということですので、勉学ができるほどのそこそこ裕福な家だったのかも知れません。科挙には合格していないため、その後、両班になったわけではなく、良人(ヤンイン:양인)のままだったのでしょう。

[ad#336-280]父の代あたりからは、ひょっとすると没落していったのかも知れません。トンイ自体は国が管理する奴隷・官婢から宮女となったわけですから、何らかの理由で良人の地位から離れたのでしょう。

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