トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

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続・延礽君(ヨニングン)はいつ仕込まれたのか!?

      2012/12/21

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前回の結論は

トンイが出産1ヶ月前まで妊娠に気が付かなかった

でしたが、もう一つの条件を基準に検証してみましょう。

 

先の回の粛宗(スクチョン:숙종)のセリフをもう一度じっくり聞いてみると

「癸酉(ケユ)年6月11日だな。私がトンイを私家へ見送ったのは。そしてあの子が生まれたのは甲戌(カプスル)年・・・」

と言っています。

つまり、1693年6月11日に出宮したのち、8月6日に妊娠に気が付き、翌年の甲戌(1694)年に延礽君(ヨニングン:연잉군)昑(クム:금)を生んだことになります。

この場合、出宮から妊娠に気づくまでが2ヶ月弱ですので「泥酔&仕込み説」の可能性も多少出てきますが、泥酔した日が出宮の直近でなければならないため、日が経てば経つほどその可能性は低くなります。

個人的には、トンイが私家へ避接(ピジョプ:피접)していた折に粛宗が訪ねて行った時ではないかと思います。宮廷外で仕込んだ前科もありますし(笑)

 ※原作や製作時の意図は「泥酔時仕込み」のようです。

 

けれども、2つの大きな問題にぶつかってしまいます。

  1. 延礽君(ヨニングン)昑(クム)の生誕日が1694年9月13日より数カ月前になる。または、トンイのお腹の中に20ヶ月以上いた。
  2. 1.でなければ、史実の重要なポイントとなる1694年4月1日の甲戌換局(カプスルファングク:갑술환국)や、同年6月1日の仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)の復位が、ドラマ内では1693年に起きたことなる。

いずれにしても理論破綻を起こしています。

出来上がったドラマのストーリーを見ても、史実の重大事件を含めて、最初の息子・永壽(ヨンス:영수)王子の出産から延礽君(ヨニングン)昑(クム)の出産などの順序や発生年は、そのままにしておいても全く問題がないのですが、どうして入れ替えてしまったのでしょうね?

脚本家のキム・イヨン(김이영)さんはこの時、かなり混乱していたようです。

 

さて、現在は甲戌(カプスル)年から6年後ですので、ちょうど1700年(粛宗26)になります。

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1670年生まれのトンイは韓国式だと31歳、延礽君(ヨニングン)昑(クム)は7歳、粛宗は40歳、仁顕王后は34歳、禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)は39歳、世子(のちの景宗)は13歳です。

波乱の1701年に向けてストーリーがどのように動くのか、ますます見逃せませんよ!

 

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