トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

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誥命(コミョン)の史実は?

      2012/12/21

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トンイ36話。ようやくチャン・ヒジェの悪事が露呈し捕縛されましたね。

ここでボクもようやく説明できることがあります。今まではドラマのサスペンスを楽しむ上で敢えて説明しなかったことです。

現在ドラマ内で両派閥が対峙しているのは、中殿チャン氏の息子昀(ユン:윤:後の景宗)の清国皇帝からの冊封である誥命(コミョン:고명)を得るためです。

 

けれど、実際は皇帝からの誥命(コミョン)は完全に後付のもので、朝鮮側での決定を追認するに過ぎませんでした。だから、ドラマ内で起こっているようなことは、そもそも起きなかったのです。

史実の時系列的にも、トンイで描かれていることは大きなフォクションで、歴史家の大ブーイングを浴びているところです。ボク個人も、このあたりの描写は捏造と言われても仕方ないのではないかと思います。ちょっと年表で見て行きましょうか!

 

1688年10月27日 昭儀(ソウィ:소의)張氏、王子昀(ユン:윤:後の景宗)を生む

1689年1月15日 王子昀が元子(ウォンジャ:원자)に冊封され、チャン氏は禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)となる

1689年5月2日、仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)は廃され、その後、張氏が中殿(チュンジョン:중전)に冊立される

1690年6月16日 元子昀が世子(セジャ:세자)に冊封される

 

王子昀が元子になるときに、猛反対したことで西人(ソイン)の領袖で儒教の大家・宋時烈(ソン・シヨル:송시열)は賜死、他の重臣も流刑となり、南人(ナミン)の天下となるのですが、世子への冊封の時点では、王命に逆らえば死ぬとわかている状況だったので、誰も逆らいませんでした。

昀(ユン)の誕生から1年半ほどの間に、己巳換局(キサファングク:기사환국)も含めたこのような重要な事柄が起きているのですが、トンイこと淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)が承恩尚宮(スンウンサングン:승은상궁)となったのは、1692年4月22日以降なので、世子の冊封の時点では、トンイは針房(チムバン)の内人として針仕事をしていました。当然、世子の冊封に絡むようなこともなかったのです。

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有名な歴史家キム・ジョンソン氏は「歴史作家の想像力の乱用」といって警鐘を鳴らしています。ゆるぎない歴史的事実が揃っている場合、日本だとそれを骨組みとして、肉付けにフィクションを持ってくることはありますが、骨を外すようなことはありません。

このような手法は、昨今の歴史をモチーフにした韓国時代劇ドラマでは主流となっているため、歴史の把握という観点からは、大きな注意が必要です。

ドラマはドラマとして楽しめばいいのです。けれど、ボクも含めた韓国時代劇マニアの方たちは、同じ時代を描いた他のドラマを見ることも多くなると思います。そんな時に、ストーリーがあまりにも違いすぎて混乱しないように、史実も把握しながらドラマも楽しむようにすると良いと思います!

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