トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

トンイ、未だに淑媛?

      2012/12/21

[ad#300-250]トンイ第39話は日本での正月明けの放送を考慮したかのように、新たな展開が始まる回でした。

けれども、史実との矛盾は相変わらずです。今回はその点を解説しましょう。

 

仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)が復位したのが1694年6月1日です。

トンイこと淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)の息子・永壽(ヨンス:영수)王子をトンイと囲み、和やかに談笑をしていましたが、史実ではこのようなことはありませんでした。その理由についてはおいおいお話ししますが、永壽と会っていないことだけは事実です。

また、永壽が生まれたのは1693年10月6日ですので、南人(ナミン:남인)が失脚する前で、なんとなく朝廷内が不安定になってきたころです。

 

仁顕王后(イニョンワンフ)が復位した翌日の1694年6月2日、トンイは従二品(チョンイプム:종2품) 淑儀(スグィ:숙의)に昇格します。といううことは、仁顕王后(イニョンワンフ)が実際に従4品淑媛(スグォン:숙원)の位にいる崔氏に会ったのは6月1日だけなのです。

このことからもわかるように、ドラマ・トンイでは、韓国史の中でも大きな事件・1694年4月1日の甲戌換局(カプスルファングク:갑술환국)や1694年4月12日の張氏の禧嬪への降格を差し置いて、一後宮の歴史を基準に組み立てられています。

もっとも、 淑儀への昇格は反映されてないため、結局は事実の時系列の完全な組み換えが行われているわけです。

 

さすがにこのような骨組みの入れ替えは個人的に好きではありません。このあたりが歴史学者に歴史ドラマがバッシングされる要因なのですが、骨組はそのままにして、肉付けの部分で工夫をするのが正しい表現方法ではないかと思います。ある意味、背骨と腰骨が入れ替わっているようなものですから・・・。

しかも、組み替えたことでストーリーが劇的に面白くなっているわけでもなく、骨組みはそのままにしておいてもストーリー展開は全く問題はなかったものと思われます。中殿張氏がトンイを昇格させると言っていたときに、すんなりと昇格させておけばひとつの矛盾は亡くなっていたし、永壽(ヨンス)王子についても、第40話以降でドラスティックに描いているわけではないので、史実通りにしておけばよかったのではないかと思います。

このあたり、イ・ビョンフン監督自身も出来上がった脚本に不満があったようですが、ストーリーの迷走にシンクロして、視聴率も迷走していたと言えます。

トンイ視聴率

韓国でのトンイ視聴率(拡大画像あり)

 

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