トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

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トンイの本名はポクスンだった!?

      2012/12/21

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前回の記事で同伊(トンイ)という名前の元ネタ?を紹介しましたが、今回は異説を紹介しましょう。

そもそも、トンイこと淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)の本名は正史では伝わっていないため、公式にはわからないことになっています。

けれども、外史にははっきりとした名前が残っています。

 

全羅南道潭陽郡 月山面龍興里(チョルラナムド タミャングン ウォルサンミョン ヨンフンニ:전라남도 담양군 월산면 용흥리)に龍興寺(ヨンフンサ:용흥사)という古刹があります。建立年は不明ですが三国時代からあったのではないかとされています。

このお寺、もともとは龍亀寺(ヨングサ:용구사)だったのですが、ある時から龍興寺(ヨンフンサ:용흥사)に変わりました。

この改名にトンイこと淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)が関わっているという伝説があるのです!

 

宝物(日本でいう国宝)第1555号に指定されている名匠・金龍岩(キム・ヨンアム:김용암)が1644年に作った潭陽龍興寺順治元年銘銅鍾(タミャン ヨンフンサ スンチウォンミョンミョン トンジョン:담양 용흥사 순치원년명 동종 )という鐘楼があります。

この鐘楼は鐘を吊す部分の龍鈕(ヨンニュ:용뉴)が他のモノには見られない特徴を持っています。

通常のものは双竜なのに、この鐘楼の龍鈕だけが唯一四龍なのです。

ここに伝説が隠されています。以下に記します。

 

龍興寺(ヨンフンサ)の僧の一人が未来を予知しました。

「孝行心の深い少女が一人やって来て、山神霊の導きにより高官と出会い、入宮し王に出会ったのちに新たな王を生む」と。

このことを後世に伝え、久しく聖君を称えるために、四龍の龍鈕(ヨンニュ)を持つ鐘楼を作り御仏に捧げました。

僧侶の予言通り、その32年後の1676年に崔福順(チェ・ポクスン:최복순)という少女が伝染病にかかった家族と共に寺にやってきました。

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そして予知の通り羅州牧使(ナジュモクサ:나주목사)と出会い、牧使の夫人の紹介により仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)の侍女となり、その後も僧侶の予知通り事が運び、延礽君(ヨニングン)昑(クム)を産みました。この昑がのちに英祖(ヨンジョ:영조)となりました。

もう一説には、1693年(粛宗19)に宮女・崔福順(チェ・ポクスン:최복순)がお参りした後に英祖(ヨンジョ:영조)を産んだとあります。

いずれにしても、龍が興った(王が生まれた)ことで寺の名が変わったというのが全羅道の民間伝承で、その伝説に出てくる少女の名は崔福順(チェ・ポクスン:최복순)なのです。

 

このような民間伝承には時折真実が隠されていることもありますが、この伝説に限っては後世に帳尻合わせした感が否めません。

もし、イ・ビョンフン監督がこの説を採用していたら、ドラマのタイトルはトンイではなくポクスンになっていたのです!

日本人的感覚だと、ポクスンはなんとなく抜けた感じがしますよね(笑)

 

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