トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

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仁顕王后の死。トンイが淑嬪に?痿疾とは? トンイ第50話解説(あらすじ含む)

      2014/02/09

[ad#300-250]ハン・ヒョジュ、チ・ジニ主演、イ・ソヨン、ペ・スビン、パク・ハソン出演の韓国時代劇トンイ(同伊:동이)の第50話の解説(あらすじ含む・ネタバレあり)です。

1701年(粛宗27)8月14日、仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)身罷る(みまかる)。

栄養状態の良い王族、特に女性は比較的長寿のことが多いものの、彼女は35歳の若さで一生を終えました。

粛宗(スクチョン:숙종)の初めの中殿(チュンジョン:중전)である仁敬王后(インギョンワンフ:인경왕후)も20歳という若さで亡くなっており、粛宗は女性運がなかったと言えます。

仁顕王后の一生については韓国歴史ヒストリアの記事を参照してください。ドラマで心臓病として描かれた仁顕王后の死因もわかります。

仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)1  仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)2

 

同伊(トンイ:동이)

 

トンイが淑嬪(スクビン:숙빈) に?

ドラマトンイでは史実から大きく逸脱している個所もあるし、また、史実ではあっても、それが大きくずれていることがあります。トンイ第50話では粛宗がトンイを嬪(ビン:빈)に冊封する教旨を用意しますが、これは後者に当たります。

仁顕王后が亡くなった1701年(粛宗27)8月14日の2年前の1699(粛宗25)10.23に、崔氏はすでに嬪に昇格しています。

最近のドラマでは、王女の男(公主の男:コンジュエ ナムジャ:공주의 남자)を見た方はわかると思いますが、首陽大君(スヤンテグン:수양대군)、のちの第7代世祖(セジョ세조)により王位を追われた第6代端宗(タンジョン:단종)を粛宗が復位させ、それを祝しての昇格でした。

 

痿疾(ウィジル:위질)とは?

世子(セジャ:세자)昀(ユン:윤)が弟の延礽君(ヨニングン:연잉군)昑(クム:금)に手伝わせ、自分が飲んでいる湯薬が何であるかを突き止めます。その時にわかった疾患の名前が痿疾(ウィジル:위질)でした。

この疾患は韓国の一般的な辞書を見ても、『感覚を失って勝手に動くことができない疾病』としか書いてありません。もとは中国語ですのでそちらで調べると、広義には同じ意味が記載されており、具体名として『下痿』『阳痿』とあります。前者は下半身不随のことで、後者は男性の機能が働かないということを意味します。

朝鮮王朝実録にも1度だけこの言葉が出てきます。ただし、ドラマの舞台となっている年代から 21年後の1722年(景宗2)6月19日の景宗(キョンジョン:경종)実録です。

司諫院(サガヌォン:사간원)の弾劾上訴により、王への不敬を働いた臣下を辺境に流罪とするべきだという記述があり、そこに登場します。被弾劾者は景宗に対して痿弱(ウィヤク:위약)痿疾(ウィジル:위질)と、『痿』の文字を使った不敬により告発されています。

この記録が示すように、世子の病状は後年発覚したものです。

トンイ第50話の内容は史実としては実際にあったことですが、 歴史を前後して要素を持ってきているため、仁顕王后の死以外はフィクションであり、歴史として覚えてしまうと時期と理由を間違って覚えてしまうため、上記のことに注意しておいてください。

 

【参考】 韓国歴史年表トンイ編  ・・・ 粛宗代の史実年表。性格的にあらすじのネタバレも含まれます。

 

第50話に続く

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