トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

王の夫婦生活 9人の女性に囲まれて!?

      2012/12/21

[ad#300-250]ドラマ・トンイでの淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)は粛宗(スクチョン:숙종)との間に2人の王子を設けました。史実では3人なのですが、それは置いておくとして、ドラマ制作者の設定では、王子の「仕込み」はどちらとも王宮外の粗末な家で行われました。

けれど、このようなことはあくまでフィクションで、実際にはプロセスがしっかり決められていたのです。

それでは実際の王の夫婦生活はどのようなものだったのでしょうか?

 

以下はトンイの舞台になっている昌徳宮(チャンドックン:창덕궁)ではなくて、建国以来の本宮の景福宮(キョンボックン:경복궁)内の王の居所・康寧殿(カンニョンジョン:강녕전)です。

昌徳宮の熙政堂(ヒジョンダン:희정당)は内装が洋風に変えられてしまっていますので、復元された康寧殿をモデルにお話しします。

康寧殿2

王の居所と中殿(チュンジョン:중전)の居所は対になっていて、王の居所の裏手に中殿の居所があります。王妃が中殿と言われるのは、この居所である中宮殿(チュングンジョン)から来ています。ちなみに、景福宮の中宮殿が、かの有名な交泰殿(キョテジョン:교태전)です。

 

康寧殿3

こちらは屋根を取り払って上から見ている図です。横長の居所は3等分されていて、両端に7つずつの部屋が作られています。

 

康寧殿1

こちらは、左側の7つの部屋です。小さな一部屋は4畳ぐらいでしょうか?そんなに広くはありません。王の居場所は真ん中です。屏風の裏にももう一部屋あります。儒教の考え方から、部屋の中には無駄な装飾品は一切ありません。

 

まずは、お相手の選定です。

ご存知の通り朝鮮王は一夫多妻制なので、その日の夜のお相手を決めなくてはなりません。ここでそのすべてを取り仕切るのが大殿尚宮(テジョンサングン:대전상궁)です。王の希望は聞き入れられず、王子を「生産」することが最優先されます。

このとき、日辰(イルジン:일진)という陰陽五行説に基づいた吉凶占いによりお相手は決められました。2012年初旬現在、韓国で話題の史劇太陽を抱いた月にも出てくる観象監(クァンサンガム:관상감)命課学(ミョングァハク:명과학 )による算出だと思われます。

裕福な外戚は、大殿尚宮に賄賂を贈り、自らの娘に多くの機会を得るようにしたとか。実際のところは定かではありませんが、大殿尚宮のさじ加減ひとつでお相手を変更できる余地もありました。

 

次に、褥や蚊帳・その他の調度品の準備が行われ、そのあと王とお相手が入室します。すると、若い宮女は皆下げられ、宿直の年老いた尚宮(サングン)のみが残ります。

さて、その配置ですが、前述の7つの部屋の真ん中を除いたそれぞれに配置されます。夜の営みを行う王とお相手が真ん中の部屋に、その周りをぐるっと囲むように尚宮が配置されたのです。一節にはお相手も含めて9人と言われていますから、尚宮達は8人で王の周りを囲んでいたことになります。

江戸時代、大奥でも「お添寝の中臈」が将軍とお相手のすぐ傍で監視役をしていましたが、それと同じように、いや、それ以上に強固な監視体制が取られていました。その理由は、情事に乗じてお相手が政治的な何かを吹聴しないようにするためです。

「よくもまあこんな状況でできるものだ」と思われるかも知れませんが、儒教を幼少の頃から叩きこまれた王にとって、夜の営みは愛情表現や快楽の場ではなく、ひとえに王子製造の場であったため、王朝末期までこの体制が取られたのです。

旧トンイ考で、「後宮になれなかったかつての承恩尚宮(スンウンサングン:승은상궁)が尚宮の最高位・堤調尚宮(チェジョサングン:제조상궁)となることもあります」と解説しましたが、多くいる宮女のなかでも数少ない情事経験者だけに、幼い王へはアドバイスも行ったそうです。

 

さて、このような体制がいつから取られ始めたのでしょうか?

文献を見ても答えは見つかりませんが、個人的には、幼くして即位した第6代端宗(タンジョン:단종)か、母親・仁粹大妃(インステビ:인수대비)の監視が厳しかった第9代成宗(ソンジョン:성종)のどちらかからではないかと思います。

韓国での研究が進みその答えがわかった時には、またお知らせしたいと思います。

 

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